「聞き手」−これまでは海外からヒトES細胞を輸入して研究するしかなかったわけですが、国内でヒトES細胞を作らなければならない理由はあるのでしょうか。
「中辻」 外国の場合、例えばあるベンチャー企業がヒトES細胞株を所有しており、凍結胚を使って樹立したということで日本の指針に則っているとします。問題なのは、研究使用する場合の契約です。ヒトES細胞株そのものは非常に安価で譲ってくれるということで、特許権もこちらの研究者で申請していいということであっても、例えば、商業実施権は提供企業側に独占的に帰属するという契約条件を要求してくる場合があります。 商業実施権を自由にできなければ、結局、研究の成果による利益が得られないだけでなく日本で開発した成果であるのに、海外からその成果については高いお金を払って買わなければならないことになります。例えば、日本においては非常に高い治療費になってしまう可能性があるわけです。こうしたケースの場合、日本の研究者は十分な検討なしに契約書にサインをしていることが多いようです。研究者はビジネスマンではありませんから研究者以外にこのような点の専門家が必要だと思います。
 アメリカの場合、NIH(米国衛生研究所)が、あまり企業のわがままでなく公共の利益と企業の権利とのコンプロマイズをどうするかということで各企業と交渉をしています。ウィスコンシン大学にあるウイセルという団体は、研究利用についてはES細胞を5千ドルくらいで譲るということになっていて、特許出願は使用者がやってもよいが、商業実施に関しては別途協議して契約するということになっています。この場合、通例の契約よりも不利になることはないということだけ確認しています。これは妥当なところでしょう。
   
「聞き手」−そのような思いがあって国内で作らなければならないということになったのですか。
「中辻」 そればかりではありません。ほかに大きな理由があります。品質管理された細胞を提供したいということです。細胞株というのは一つ一つ違う可能性があります。同じヒトのES細胞株といっても分化能がどれだけあるかも違うし、同じ株でも違う研究室で培養方法が微妙に違えばそれでまた違ってくる可能性があります。そう考えると外国から導入する細胞株が本当にどういうものかがよくわからないわけです。クオリティの面だけでなく、医療に使うためにはウイルス感染がないなどの品質管理が最初からきちんとなされているかも重要です。そうすると品質のきちんとしたものを日本国内で最初から作るという体制がやはり必須でしょう。
   
「聞き手」−ヒトES細胞が作られた後、研究に利用したいという先に対してはどのように分配されることになるのですか。
「中辻」 文部科学省から使用研究の承認を得たところに対しては明白な問題がない限り、機械的に例えば承認された順番に配っていくことになると思います。ただ、そのまますぐに渡すのではなく、指針では義務化していないのですが、研修をしようと思っています。細胞融解や培養方法などにマウスのES細胞とは違ったノウハウがあるのです。ヒト胚を壊して作った貴重なヒトES細胞ですので、やはりそこは慎重に扱っていただきたいのです。研修ではマウスES細胞を使った研究の経験のある程度のレベルの方に来ていただき、数日間をかけてヒトES細胞株の取り扱いを研修してもらいます。はじめの数年間は、50カ所くらいになると思うのですが、そこまでは我々のところで研修までやって無償で分配する予定にしています。そののち、100−200カ所に増えてきたときには公的な細胞バンクの協力を得て分配をしなければいけないと思っています。
  < 関連資料「ヒトES細胞の使用の流れ」>
   
「聞き手」−ヒトES細胞を利用して成果が上がればその権利関係はどうなるのですか。
「中辻」 私たちも国も権利を主張しないことになります。例えば国内の製薬企業がヒトES細胞の使用計画の承認を得て新しい薬を作れば、製薬企業が自由にそれで利益を上げてよいのです。日本の指針のいいところは、ヒト胚を壊して作るES細胞なのだから個人や樹立機関の持ち物でなくみんなの持ち物にして、できるだけ広く利用してもらおうという考え方をとっているところです。
   
「聞き手」−実際にヒトES細胞を作る当事者から見て、ヒトES細胞を巡る議論についてはどのように感じておられますか。
「中辻」 外国と比べると一般の人を巻き込んだ激しい議論にはなっていないと思います。ただ、それがなぜなのかを考えると、納得しているからなのか、関心がないのかはよくわからないところがあります。ただ、人の生命がどこから始まるかという議論は、どこまでいっても結論が出ないものです。このまま進むのか、どこかで問題が起こったときにもう一度考えなければという話になるのかわかりません。私のもとにも手紙やメールをいただくのですが、そのうち大部分は患者さんと患者さんの家族で、ヒトES細胞の作製と研究を進めてほしいという声が届きます。一方で、こうした研究に反対する意見も存在します。