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「聞き手」−ES細胞の研究に入るきっかけは何だったのですか。
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「中辻」 もともとは両生類の初期胚における発生現象に興味を持ち細胞の運動や分化について研究していました。その後、米国で5年ほど研究をし、ほ乳類の初期胚の研究も始めました。その後、本格的にほ乳類の初期胚の研究をやろうということで、そのメッカである英国に移りマウスの初期胚の研究を始めました。そのころにマウスのES細胞が発見されたという論文が出されたのです。動物の初期胚の細胞に興味を持って研究をし、培養するということもやっていた立場からすると、どんどん変化していくはずの初期胚細胞が変化せずにそのまま増えるというのは非常に不思議でした。そこで、マウスES細胞の研究をしているケンブリッジ大を訪ね、そこでES細胞のことを学びました。そのマウスES細胞を日本に持って帰ってきたのですが、日本で調べたらカビが入っていてそれを取り除くのが大変でした。(笑)
帰国したのは明治乳業が新しい基礎研究を行うヘルスサイエンス研究所を小田原に作るということで誘われた1984年のことでした。どんな研究ができるのだろうと思いましたが、私の研究室は発生生物学研究室の名前で、マウスES細胞も作って研究を始めました。そのころはノックアウトマウスを作るツールとして使われていたのですが、今から思えば第1次のES細胞ブームだったのかもしれません。
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私自身は生殖細胞の研究を中心にしていますが、ES細胞と生殖細胞は非常に似ているわけです。体細胞、生殖細胞に共通のもとの細胞がES細胞で、生殖細胞が卵と精子になって受精するとまた初期胚細胞ということになりますから非常に関係した現象なのです。
そういうことで、私の現在の研究室では生殖細胞とES細胞のグループが共存しています。 そののち、91年には国立遺伝学研究所の教授になって、以降8年間所属していました。主にマウスの生殖細胞の発生生物学など基礎的な研究に携わっていました。
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「聞き手」−そのころはヒトのES細胞株を作ろうという思いはなかったのですか。 |
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「中辻」 95年に米国ウィスコンシン大学のトムソン教授がまずサルES細胞を作ったという論文は目にしていたのですがあまり関心はありませんでした。基礎の発生学をやっているのであればマウスを使えば十分ですから。ヒトES細胞を作るということはやはり医学応用のためであって、発生生物学の研究ではそこまで考えません。もし、そのまま国立遺伝学研究所にいたとすれば関わることはなかったかもしれません。
ところが98年に同じトムソン教授によってヒトES細胞株ができたという発表があったころ、田辺製薬からカニクイザルのES細胞を作らないかという話と、京大に再生研を作るので協力してほしいという話がほぼ同時期にありました。再生研は医学と生物学と工学の学際的な研究を行うために設置されるということでした。ヒトES細胞株ができたというニュースに社会が大きく反応したのと、私自身を取り巻く環境もそういう方向に変わろうとしていたということで特別な思いを抱きました。これはめぐり合わせですね。サルのES細胞作製も滋賀医大や近畿大学の研究者の方々と協力して成功し、今こうしてヒトES細胞にも関わることになったということです。
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