● ラエリアン教団によるクローン人間誕生発表とその後の経過
----科学的根拠、客観的証拠を示さない一方的発表

 クローン人間作製に関しては、イタリアの不妊治療医セベリノ・アンチノリ(Severino Antinori)医師が、昨年11月26日にローマでの記者会見で、患者の一人が世界初のクローンベビーを2003年1月に出産すると発表したことを既にお伝えしました(→短信8)。その後、昨年のクリスマスにはスイスに本拠を置くラエリアンと呼ばれる新興宗教の教団が、イブ(Eve)という名のクローン人間の女児が生まれたと発表し、そのニュースが世界をかけめぐりました。日本のマスコミもトップニュースで伝えました。ただ、そのクローンベビーがどこにいるのか、クローン元となった親(=クローン親; surrogate parents)は誰か、代理母(surrogate mother)はだれかといった肝心な点はプライバシー保護を理由に明らかにされませんでした。
 
   
   その後もこの件に関する断片的なニュースが伝わってきて、アメリカ人の子供であるとか、最近ではクローン親は40代の日本人科学者、代理母はアメリカ人女性であるとか報じられています。フロリダ州では、女児がアメリカ人であるのならその身柄をアメリカに引き渡すようにラエリアン教団に求める一種の人身保護法に基づく裁判が起こされています。ただ、これらにもまして一番の基本的で「科学的」な問題は、クローンベビーとされている女児が本当にクローン人間であるのかということです。  
   
   この点については、アメリカ3大テレビネットワークの元科学記者が仲介者となって女児とクローン親のDNA鑑定を第三者機関に実施させるようにラエリアン教団から事前に依頼されていたので、クリスマスの女児誕生の発表を受けて、その元科学記者がDNA鑑定実施に向けて動き出すと、突然教団からこれを拒否されたとか、元科学記者はいくつかのテレビネットワークにクローンベビー誕生の番組企画を高額で持ちかけていたとか報じられていました。  
   
   このようにクローン人間誕生の件は、ラエリアン教団の一方的で断片的な発表が中心で、正式な論文が発表されたわけではありません。信頼性の疑わしい不確定な情報が一人歩きして、世界中を駆け巡っているのが現状です。まさに妖怪跋扈(ばっこ)の様相です。科学コミュニケーション論の研究者である加藤和人京都大学助教授は、昨年12月25日付朝日新聞の「私の視点」欄で、「今回のニュースに接し、不確定な情報に踊らされない冷静な対応が何よりも必要だと感じる」と述べておられました。  
   
   ラエリアン教団によるクローン人間誕生発表の問題点を要約すると、その詳細が正式な科学論文として発表されていないことと、クローン女児が本当にクローン人間であるのかどうか科学的に検証されていないことの2点に尽きます。ただし、これを裏側から見ると、クローン人間の作製に成功したという論文を科学誌は掲載すべきかという問題が提起され、クローン人間であることの検証に科学者が手を貸してもいいのかという問題が提起される可能性があります。前者は、自殺の仕方という本の出版は社会的に許されるかという問題とどこか似ています。
 
   
   Nature誌1月16日号の「クローン人間作製問題は、科学誌にも難題を突きつけている」と題するnewsは、まさにこの2点を正面から扱っています。Nature誌の記事は、「研究者の多くが、アンチノリ医師やザボス医師(注: アンチノリ医師の元協力者)はラエリアン教団と同様に信用できないと考えてはいるが、クローン人間誕生の可能性は依然として残っている。日本の神戸にある理研の発生・再生科学研究センターのTony Perry氏は、『(クローン人間を誕生させることは)少なくとも5年前から可能であった』と語っている」と述べ、クローン人間の作製は理論的に可能であるとの前提に立っています。
 
   
  ● 難題1: クローン人間であることの検証

 そして、クローンベビーを二人誕生させたとの今回のラエリアン教団の発表は、「奇怪な売名行為(a bizarre publicity stunt)であった可能性が高い」としながらも、この発表後の「マスコミ騒動(media circus)は、倫理上のジレンマを露呈させた」と指摘し、「今後に予想される同じような発表に対して、科学界はその真偽の検証・証明のために手を貸すべきだろうか。それとも手を貸すことは、大半の生物学者が反倫理的とみなしている行為を看過・容認することになるのだろうか」と問いかけています。これが、クローン人間作製の可能性が科学誌のみならず科学界全体に突きつけた難題の一つだというのです。

 
   
   記事によると、「第一線の研究者の多くが、クローン人間を誕生させたと真顔で言われると、自分でそれを検証する義務があるという気になると述べている」のみならず、「さらに驚くべきことには、本誌の調査では誰かがクローン人間を誕生させるのに成功した場合には、その詳細が主要な科学誌に掲載されるだろうと考えている研究者が多い」のだそうです。  
   
   では、「研究者が、クローン人間を誕生させたとの主張を確認するために手を貸すことは、クローン人間を作ることを容認することになる」のでしょうか。「クローン人間作製問題の論争で、そのお先棒を担ぐのは、これを容認していると推測される」という見解もあります。他方で、「クローン研究者の大多数が、一般国民には真実を知る権利があると考えている」とし、「いかに不快なことであるにしても、われわれはこれに関わる必要がある」とのミズーリ大学のランダール・プラサー(Randall Prather)教授の主張を紹介しています。多くの研究者が反倫理的、反社会的と考えている研究行為であっても、それがいったん現実として目前に現れてくれば、科学者としては放置できないということのようです。  
   
   事実、Nature誌の記事によれば、「Prather教授は今回のラエリアン教団の発表を受けて、他のクローン研究者2名とともに全米科学アカデミーのような信頼できる機関の鑑定を受けるように教団に要請する声明文を公表しており、他方、英国学士院は、信頼できる独立した二つの研究所がクローン元(=クローン親)となった人物とクローンベビーのDNA鑑定を行うべきである」と主張しています。  
   
  ● 難題2: クローン人間作製論文の掲載

 次に、ラエリアン教団から出てくるクローン人間誕生の情報は、正式な科学論文として発表されたものではないというのが常に問題にされています。ところで、「かつてアンチノリ医師の協力者であったケンタッキー在住のザボス氏は、クローン胚の子宮への移植を承諾している女性ボランティアが数名いる」と述べており、このザボス医師は、クローン人間の作製に成功すれば、「確立された科学的手順を踏む予定である。わたしは、事実を科学誌で公表するつもりである」と明言しています。

 
   
   そこでNature誌記事は、「動物実験によるデータで、流産、先天性欠陥、その他の健康障害発生の危険性が高いとされている研究の論文を掲載することに同意する科学誌が存在するのだろうか」と問いかけています。つまり、大部分の研究者が反倫理的行為とみなしている「研究」の結果を科学誌が掲載することが許されるのだろうかという問題です。「科学誌への掲載を認めることは、クローン人間の作製を容認することにつながるのではないか」。これがもう一つの難題です。  
   
   この点に関して、Nature誌自身は「ヒトを対象とした研究は倫理審査委員会の承認を得るとともに、人体実験に対する国際的なガイドラインであるニュルンベルグ規約を満たすことを求めている。この点を根拠に、クローニング関係論文の担当編集者であるナタリー・デウィット(Natalie DeWitt)は、『ヒトクローニングに関する論文は、おそらくピアレビュー(=同分野の研究者による審査)を受けるまでもなく拒絶されるだろう』と述べている」と述べています。ニューイングランド医学誌(The New England Journal of Medicine)は、アメリカで発行されている権威ある医学誌ですが、その編集主幹であるJeffrey Drazen氏は、「インフォームド・コンセント基準などの事情を考慮しながら各編集者がそれぞれ倫理的評価を下す」と述べています。つまりケースバイケースで、論文掲載の可否を決めるようです。  
   
   これに対して、もっと積極的なのがアメリカ生殖医学協会の発行している「不妊と出産誌(Fertility and Sterility)」誌です。この雑誌の編集人であるAlan DeCherney氏は、「そのような問題のある論文であっても科学的審査を通れば掲載する。審査委員がOKであるとみなせば、わたしは掲載について何の良心の呵責も感じることはない」と述べています。  
   
   ただし、「そのような研究を掲載する科学誌は、反倫理的な実験を容認しているとの非難の矢面に立つ」ことを覚悟しなければならないでしょう。クローン人間作製には、「たとえ一人のクローン人間が正常な状態で無事に生まれたとしても、将来の同じような実験が破滅的な結末をもたらさないという保証はない(ピッツバーグ大学Gerald Schatten発生生物学教授)」という不安と危険がつきまとうからです。  


 
 
◎ ことばと表現 ◎
● ことば
1:   奇怪な売名行為/スタンドプレー = a bizarre publicity stunt
2:   マスコミ騒動 = the media circus; a media flurry/brouhaha(発音: ブルーハハ)
3:   ラエリアン教団 = Raelian sect
4:   代理母 = a surrogate mother
5:   (自然科学)学界 = the scientific/research community
6:   クローン人間作製(技術) = human cloning
7:   出産目的のヒトのクローニング = human reproductive cloning
8:   クローン人間 = human clone
9:   クローン人間の誕生 = the birth of a human clone
10:   生殖医学 = reproductive medicine
11:   DNA鑑定 = DNA test/testing
12:   クローン研究者 = cloning researcher
13:   発生生物学者 = a developmental biologist
14:   流産 = miscarriage
15:   先天性欠陥 = birth defects
16:   健康障害 = health problems
17:   反倫理的行為 = an unethical practice
18:   倫理審査委員会 = an ethical review panel
19:   倫理上の評価 = ethical evaluation
20:   人体実験 = human experimentation
21:   同分野の研究者による審査 = peer review
22:   インフォームドコンセント; 納得ずくの同意 = informed consent
23:   科学誌 = a scientific journal
24:   科学論文 = a scientific paper/thesis
25:   生物医学研究 = biomedical research
26:   ・・・・の全面的/部分的禁止 = total/partial ban on・・・・
27:   生殖/出産目的のクローン作製(技術) = reproductive cloning
28:   再生医療目的のクローン作製(技術) = therapeutic cloning
29:   クローン親 = surrogate parents
  (クローン個体の作製のために卵子や体細胞を提供した親; 代理親)

● 表現
1:   クローンベビーを誕生させる → produce/create a cloned baby
2:   クローンベビー[クローン人間]を出産する
  → give birth to a clone baby [a human clone]
3:   倫理上のジレンマ→ raises an ethical dilemma
4:   ・・・・との主張を検証する → verify any claims that・・・・
5:   ・・・・しなければという義務感を抱く → feel duty-bound to do・・・・
6:   (代理母として)クローン胚を妊娠する → carry embryos created by cloning
7:   クローン人間を作成したとの主張を確認/検証する
  → corroborate a claim of human cloning
8:   確立された科学的手続きを踏む → follow established scientific protocol
9:   科学的審査を通る → passed scientific review
10:   反倫理的な行為を容認する → condone an unethical practice
11:   反倫理的な実験を容認しているとの非難の矢面に立つ
  → stand accused of condoning unethical experiments
 
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Should the scientific community help to verify any future similar claims?
Or would this be condoning what most biologists agree is an unethical practice? (今後の予想される同じような発表に対して、学術界はその真偽の証明のために手を貸すべきだろうか。それとも手を貸すことは大半の生物学者が反倫理的とみなしている行為を看過容認することになるのだろうか。)

・・・・a success in human reproductive cloning would probably be published in a mainstream scientific journal, a move that many would interpret as an endorsement of the work. (クローン人間を誕生させるのに成功した場合は、おそらく詳細が主要な科学誌に掲載されるだろうが、それは多くの人によってクローン人間の誕生を容認していると解釈されるおそれがある。)

“If the reviewers thought it was OK, I wouldn't have any qualms.”
(審査委員がOKであるとみなせば、わたしは掲載について何の良心の呵責も感じることはない。)

・・・・journals that publish such work may stand accused of condoning unethical experiments. (そのような研究を掲載する科学誌は、反倫理的な実験を容認しているとの非難の矢面に立たされるかもしれない)

Even if one human clone was born in a normal fashion, it doesn't mean future experiments wouldn't have catastrophic consequences.
(たとえ一人のクローン人間が正常な状態で無事に生まれたとしても、同様の実験が将来破滅的な結末をもたらさないということを意味しない。)