● 篤志家の匿名寄付金15億円
 この短信欄でも繰り返し指摘しているように、アメリカでは“ヒトの胚を利用して行われる幹細胞研究”については、連邦政府の研究補助金を認める、認めないを通じて間接的な規制がかけられています。すなわち、米国内に既に存在する約60種のヒトの胚幹細胞株を利用した研究についてのみ連邦政府の研究補助金を認めるというもので(→幹細胞研究に関するブッシュ大統領の演説)、それ以外にヒトの胚幹細胞株を新たに作製したり、それを利用して研究を行う場合には、連邦政府の研究補助は受けられません。あえてこれを行おうとする研究者は、自前で研究費を調達する必要があります。

 
   
   他方、カリフォルニア州をはじめとするいくつかの州は、幹細胞研究の医療面での将来性や先端医療産業への発展可能性を見越して、幹細胞研究を奨励・支援する州法を成立させています(→カリフォルニア州が幹細胞研究にゴーサイン)。また、上記の連邦政府による間接規制についても、さまざまな患者支援団体が、連邦議会の上院議員に対して幹細胞研究に対する今以上の規制強化に反対するように働きかけています。たとえば、アルツハイマー病で床についたままのレーガン元大統領の夫人ナンシー・レーガンさんや、映画「スーパーマン」でスーパーマン役を演じた俳優のクリストファー・リーブさんは、現在の連邦政府の規制に反対で、幹細胞研究を含めた再生医学研究を国が全面的に支援するように働きかけています。リーブさんは1995年の落馬事故で脊髄を損傷し、首から下が麻痺した状態で闘病生活を続けています。  
   
   そんな中、自由な研究気風の強いとされるスタンフォード大学が、篤志家から約15億円の匿名寄付が寄せられたのを受けて、癌・幹細胞生物医学研究所を新設すると昨年の12月10日に発表したことが、Nature誌2002年12月26日号および Science誌2002年12月20日号のニュース欄で報じられています。カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校やメリーランド州のジョンズホプキンズ大学は、既に幹細胞研究のための研究所を昨年に開設しており、スタンフォード大もその仲間入りをすることになります。初代所長には著名な幹細胞学者であるアービン・ワイスマン(Irving Weissman)教授が就任の予定です。ワイスマン教授は、神戸にある理化学研究所・発生再生科学総合研究センターの顧問であり、カリフォルニア州の幹細胞研究促進法の制定にも関与されました。また、昨年秋にポートアイランドの国際会議場で開かれた第12回武田科学財団・生命科学シンポジウムでも研究発表をされました(下の写真。筆者撮影)。  


 
   スタンフォード大の癌・幹細胞生物医学研究所では、幹細胞に関する基礎研究と慢性疾患や癌の新治療法の研究が総合して進められます。研究スタッフには主に学内の研究者が当てられますが、外部からも募集の予定とされています。ノーベル医学賞を受けた同大のポール・ベルグ(Paul Berg)教授は、「目標は1億ドル(130億円)の研究資金を集めて、癌、パーキンソン病、心臓疾患などの遺伝治療の研究を促進することである」と述べています(Science誌)。また、体細胞の核移植による再生医療目的のクローニングによって新しい胚幹細胞株を作製することも「十分に考えられる」とも述べています(Nature誌)。  
   
  ● 誤解されたワイスマン教授の発言
 短信9では、オーストラリアの著名な幹細胞学者アラン・トロンソン(Alan Trounson)教授が、議会委員会での発言に関して予期せぬ騒動に巻き込まれて窮地に立たされたことをお伝えしましたが、スタンフォード大の癌・幹細胞生物医学研究所設立計画の発表に伴ってちょっとしたマスコミ騒動(a brief media flurry)が起きました。「スタンフォード大学は、新研究所では病気の治療法研究のために新しいヒト胚幹細胞株の作製に取り組む予定であると発表して苦境に立たされてしまった」のです。
 
   
   Scienceの記事によれば、初代研究所長に予定されているWeissman教授がAP記者とのインタビューに応じ、そのなかで「幹細胞研究のために、いつかは再生医療目的のクローニングの一種である核移植法によってヒト胚幹細胞の作製に取り組むことになるだろう」と発言されたのです。するとAP記事は、「スタンフォード大学がヒトのクローン胚を作製の予定」と報じました。これが一般の人々や他のマスコミで「スタンフォード大学がクローンベビー製造工場となるのではないか」と誤解されたようです。
 
   
   スタンフォード大学の関係者は、そのようなマスコミ報道を打ち消すのに躍起で、騒ぎを静めるためにただちに記者会見を開きました。さらに声明文までを出して、「ヒト幹細胞株の作製は、生殖目的のクローニングと同じことではない」と強調したそうです。記者会見に臨んだ前出のBerg教授は、一連の騒ぎを「気味悪いこと・・・この2年間この地球上にいなかった(=地球を留守にしていた)連中がいるようだ」と嘆いておられます。  
   
   ワイスマン教授発言のケースは、トロンソン教授の発言をめぐる騒ぎとは少し様相が異なりますが、クローンベビー誕生かというショッキングなニュースが流れる中で、「再生医療目的のクローニング」とか「ヒトクローン胚の作製」といった専門用語が一般の人に正しく理解されずに誤解と過剰反応を招いたのでしょうか。  
   
 
◎ ことばと表現
1:   (ヒトの)胚 = (human) embryo
2:   (胚)幹細胞 = (embryonic) stem cell
3:   (胚)幹細胞株 = (embryonic) stem cell line
4:   (胚)幹細胞研究 = (embryonic) stem cell research/study
5:   (著名な)幹細胞研究者/学者 = (prominent) stem cell reseacher/scientist
6:   体細胞 = somatic cell
7:   患者支援団体/グループ = t-advocacy group
8:   脊髄(損傷) = spinal cord (injury/damage)
9:   遺伝治療 = genetically based treatment; gene therapy
10:   再生医学 = regenerative medicine
11:   核移植 = nuclear transfer
12:   体細胞の核移植 = somatic-cell nuclear transfer
13:   再生医療目的のクローニング = therapeutic cloning
14:   生殖目的のクローニング = reproductive cloning
15:   アルツハイマー病 = Alzheimer's disease
16:   パーキンソン病 = Parkinson's disease
17:   慢性/心臓疾患 = chronic/heart disease
18:   ちょっとしたマスコミ騒動 = a brief media flurry
19:   (ささいなことが原因の)大騒ぎ = brouhaha(発音: ブルーハハ)
20:   クローンベビー(製造工場) = clone baby (factory)
21:   匿名の寄付金提供者 = an anonymous donor
22:   癌・幹細胞生物医学研究所
  = the Institute for Cancer/Stem Cell Biology and Medicine
23:   苦境に立たされる→ get in hot water
24:   マスコミ騒動を沈静化させる→ precipitated a media flurry
25:   騒ぎを収める/静める→ deflate the brouhaha(発音: ブルーハハ)
26:   記者会見を行う→ hold a press conference

 
   
 
● “匿名の寄付提供者からの寄付金1200万ドル(15億円)を受けて
  スタンフォード大学での癌・幹細胞生物医学研究所の設立計画が始まった。”
   A $12 million gift from an anonymous donor has kicked off
  the Institute for Cancer/Stem Cell Biology and Medicine
  at Stanford University. (Science)

● “一連の騒ぎを「気味悪いこと・・・この2年間この地球上にいなかった
  (=地球を留守にしていた)連中がいるようだ」とベルグ教授。”
   Berg calls the episode “Bizarre. ... You have an audience [that]
  seems not to have been on this planet for the last 2 years. ” (Science)