病気の過程で何が起こるかというといろいろな細胞が失われるし、うまくいくともとの体に復元するのだが、多くの場合復元できないことが多い。炎症の後に色素沈着ができてなかなか治らないといったことはみなさんも経験されていると思う。病気になることによって臓器の中のある場所で細胞が増殖したり、死んでしまったり、ほかの細胞に置き換わったりといった状態が現れる。臓器を失うということはまれであるけれども、私たち一人ひとりの細胞は毎日毎日失われていく。そしてあるときに病気として現れる。そのようにとらえると再生医療は一部の人の夢ではなく、みなさん一人ひとりの夢であるべきだと思う。

 再生を図るためにはさまざまな方法があるが、重要な問題は最も簡単な生物ですら私たちは無生物からは造れないということだ。マイコプラズマというバクテリアは約500個の遺伝子からできているがそのうちの230−300個の遺伝子があれば生命の維持が可能だ。しかし我々はそのすべての遺伝子配列を完璧にわかっているにもかかわらずマイコプラズマという生物を造ることはできない。細胞治療を考えるときには何が必要かというと、細胞を生きた人から、それは自分自身かもしれないがそこから取り出してきてそれを使うということしかできないということだ。

 生きた細胞や組織を使うという医療のルーツは輸血から始まるが、すでにある細胞を使ったさまざまな細胞治療に加えて、細胞を用いた治療の新たな展開が進みつつある。例えば、すい臓のインシュリン産生細胞が欠損する糖尿病や、黒質の細胞がなくなってドーパミンという細胞がなくなっていくパーキンソン病の治療において細胞を移植して治療をするという方法が行われている。しかしこの二つの治療をより現実的にするには移植する細胞が足りないという問題に直面する。もしこの細胞を試験管の中で増やすことができれば問題を解決することになる。

 こういうものを解決する一つの方法として最近の基礎的な研究の上に新たな細胞治療の広がりを約束する技術や概念が出てきた。その一つがES細胞だ。ES細胞は初期胚に由来し、いろいろな細胞に分化する能力を持ち、しかもそのままの形で試験管の中でいくらでも増やせる幹細胞である。1998年には米国の研究者がヒトでもES細胞を作れるということを証明した。現在ではES細胞から目的の細胞にだけ導くという技術の開発が進んでいる。二つ目には、神経幹細胞のような増えないと思っていた細胞を試験管の中で増やすことができるようになった。そして三つ目は分化の可塑性、すなわち細胞を一からプログラムし直すということがわかってきた。血液の細胞は血液にだけなると思われていたのだが、骨髄の細胞を移植すると血管にもなるだけでなく筋肉や肝臓の再生に使うことすらできるということもわかってきて、そういう細胞を株化することもできるという話が出てきている。これらのうち一つの方法で何かを考えるのではなく、さまざまな方法から考えることが治療、そして研究に役立つ。

 しかし拒絶反応の問題がある。その解決のためには臍帯血バンクや骨髄バンクのようにバンクに保存されたものの中から患者さんに合ったものを使うという手法もあるし、患者自身と同じ遺伝的な性質を持った細胞を作るということも考えられる。しかしさまざまな倫理的問題があるのではないかといわれている。例えばヒトの受精卵を使ってこのような細胞を作っていいのかという問題がある。研究では生殖補助医療の結果、廃棄すると決まった胚を使うのだが、この胚は確かにもう一度子宮に戻せば人間になるにもかかわらず、廃棄された時点では細胞の塊でしかないという考え方もあれば、受精卵はその瞬間から私たちと同じ人間であるという考え方も当然ある。今の社会はどうしても合意を望むために異なる内容を一つのコンテクストに書くという癖がある。ゆえにヒト胚は尊重すべきだが医療にも有用であるということが書かれてしまう。一方からみるとおかしいという考え方が同居するということになる。将来は価値の多様化を認める中で意思決定の仕組みを構築できるような全体のあり方を考えていくべきである。

 Helga.Nowotnyというスイスの社会学者が社会的に理解される知識としてモード1社会からモード2社会への変換を提示している。今までのモード1社会では科学界は信頼できる知識を社会に対して出していればよかったのだが、モード2社会では、科学界はさまざまなところで信頼される社会とコンタクトしながら、社会的に理解される知識に変えていくというプロセスが必要なのではないかという考え方をしている。我々はこのようなことを認識しながら研究を続けている。



理研 発生・再生科学総合研究センター 幹細胞研究チーム