◆ プロフィール
井村 裕夫(いむら・ひろお)
昭和37年京都大学大学院医学研究科博士課程修了。平成元年京都大学医学部長、3年京都大学総長。神戸市立中央市民病院院長などを経て、11年神戸医療産業都市構想研究会会長に。総合科学技術会議議員も務める。
ゲノム医学と高齢者医療
神戸医療産業都市構想は順調に進んでいる。当初は先端医療を目指していたが、より幅広く健康産業を充実させていくことが重要だ。
21世紀の医学・医療のキーワードだが、医学では遺伝子の全体、すなわちゲノム医学が発展するであろうし、医療においては高齢者の医療が重要になってくる。日本の総人口は現在ピークを迎えつつある。65歳以上の人口はやがて総人口の3分の1を超え、しかも75歳以上が20%に達することになり、世界で類を見ない高齢社会に最も早く突入することになる。そこで高齢者の健康を守ることが大きな課題となる。
高齢者に多い病気を見ると、死因の第1位はがん、2番目が脳血管障害、3番目が心疾患で、後者の2つをあわせると血管の病気による死亡はがんを上回っている。これらは糖尿病、高血圧、高脂血症などの病気をもとに発症する。それ以外に老人性痴呆、骨粗しょう症が大きな問題だ。一方、日本の社会においては寝たきりの状態になるということが問題だ。平均して男性は1年半、女性は2年半もの間、最後を寝たきり状態で迎えるというデータがある。この原因としては脳血管障害、骨折が多い。したがってこういったことをいかに防ぐかが大きな問題だ。
高齢者の病気の場合にはまず病気にならないようにする1次予防が最も重要だ。高齢者の病気の多くは生活習慣、すなわち食事、運動、喫煙等だ。血管の病気の場合は食事と運動が、がんの場合は喫煙と食事が重要だ。定期検診によって生活習慣を早く改善し治療をすることによって早期に病気を改善することが重要だ。2次予防は病気を早く発見し適切な治療をして進行をしないようにするものだ。1次予防も2次予防も非常に重要だ、例えば糖尿病が見つかっても早く診断して治療をすれば進行を最小限に食い止めることができる。
これらの予防のためにはテーラーメード医療が重要になってくる。これは個人の遺伝素因を明らかにし、あの人はこういう病気になりやすいということを見極めて予防、治療をしていくものだ。そのために現在注目されているのがSNPだ。SNPはわれわれの遺伝子の塩基配列のうちで一つだけ違うところがあるという状態で、一人ひとりが異なる一塩基多型を持っている。そうするとできるタンパクやタンパクの量が変わってくる、それによって個人の特徴が現れる。一卵性双生児以外は、一人ひとり顔かたちも性格も髪の毛の色も違うが、それらはすべてSNPの違いによって決まってくると考えられ、それが明らかになってくると、ある病気にかかりやすいか、かかりにくいか、薬が効きやすいか、効きにくいかがわかるようになり予防が正確にできるようになる。これからのゲノム医学によって多因子疾患の原因がわかるようになる。遺伝子、環境、遺伝素因がわかると個人の遺伝的な特徴に応じて治療、予防をしていくテーラーメード医療が可能になる。また、薬を作ることが非常に合理的になる。いったん傷害した組織を再生する再生医療も発展すると思われる。これを高齢者の予防医療に使っていくことが重要だ。
トランスレーショナルリサーチの重要性
医学研究をどういうふうにやっていくかだが、基礎研究の結果、興味のある結果が出れば動物実験でそれを確認する。あるいは人間の遺伝子を使って研究する。これは疾患指向型臨床研究といい、直接人を使わずに人から取った遺伝子や細胞を使って研究する。その上で患者さんを使って本当にその治療法が効くかどうか確認する患者指向型臨床研究がある。それがうまくいくと一般の臨床に使うことになる。こういうステップで医学の研究が進む。この基礎研究から臨床に至るトランスレーショナルリサーチが難しい。
薬剤の開発を考えてみる。最初は基礎研究で、動物を使って前臨床試験を行う。すなわちこの薬が体の中に入ったらどういう作用をし、代謝をし、排泄されるのかを動物で確かめてみるということだ。次に臨床試験を行う。最初は正常な人を使って、薬がどういう影響をもたらすかを見る、次に少数の患者さんに使って効くか効かないか探りを入れ、さらその次にはたくさんの患者さんを対象にして検証的試験をやる。これで薬が効くということがわかれば発売が認められ、薬を処方してもらうことができるようになる。しかしそれで終わりではなく、一つは市販後の調査をして心配な副作用が出るかでないかを見る。もう一つは本当に治療に使って効果があるかどうかを確認する。血圧が下がる薬が見つかって使った場合には、脳血管障害が減るかどうかをみていくことが重要だ。これが大規模臨床試験と呼ばれるもので、科学的根拠のための試験となる。すなわちこの薬を飲めば確かに脳血管障害が30%減った、ということを確認する。こういう手順を踏んで薬が臨床に効くかどうかが決められる。そのためにはいろいろな手続きが必要だ。たとえば、患者さんの選び方はランダムに選ぶとか、検査する人にわからないように選ぶとかこういう手順を踏んで大規模臨床試験をする。
神戸市医療産業都市構想の現在
そこで神戸市のプロジェクトではまず基礎研究をやるということで理化学研究所の発生・再生化学総合研究センターに来てもらった。理研や大学で得られた成果を臨床に生かすための先端医療センターもある。臨床研究には膨大な情報が必要だ。大規模臨床試験は何千人、場合によっては何万人に薬を飲んでもらって確認する。そのためには情報処理をすることが大事で、これを担う臨床研究情報センター、TRIが完成している。さらに企業が研究、教育をするトレーニングセンターも建設中だ。
先端医療センターは財団が運営している組織で、入院ベッドも60床ある。血液をつくる細胞の移植、足の血管が詰まってくる病気に対して血管を再生させる治療が始まっている。心臓の血管再生は来年から中央市民病院と協力してやる予定にしている。それから人工歯根植え込み(インプラント)と歯槽骨の再生を組み合わせた治療もやろうとしている。画像診断とがんの治療、医薬品・医療用具等の治験も行っている。
TRIは、さまざまな臨床研究のサポートを行っている。薬や有力な治療法が見つかった時にまず動物実験でやる前臨床試験のための実験データの統計学的な助言、臨床試験を開始する前の規制の助言、次いで臨床試験の計画をたてる。どれくらいの患者さんでやればいいのか、統計的にどういう解析をすればよいのかのほか、計画書を作るための支援、患者さんに協力してもらうためのシステムの準備、データベース作りを行う。実際に臨床試験が始まると、症例のデータベース作り、臨床試験が終われば統計的な処理をして評価をすることを支援するスタッフもそろえた。がんの治療薬の治験を今やっているが今後いろいろな病気をやっていく。
起業化支援施設は今年度中の完成で、5月くらいから動き出す。安い賃料で企業に貸す。細胞を増やすセンターや動物実験施設を入れる。放射性同位元素を扱う設備も整えている。ハードソフト一体になってベンチャーを支援して研究開発から実用化までをやっていこうという考えだ。もう一つの試みとして、神戸バイオテクノロジー人材育成センターがある。フロア上部は神戸大学のインキュベーションセンターとベンチャーの育成を、下部は全国の大学共同利用でバイオテクノロジーの研究の人材育成のセンターを入れる。高度なバイオテクノロジーの技術者を増やす考えだ。
このエリアは平成15年4月構造改革特区に認定された。これによって神戸医療産業都市構想を加速させ、関西全体のライフサイエンス分野のスーパークラスターの一翼を担うことになる。産学連携によるトランスレーショナルリサーチの推進ということで、特定療養制度の導入や高度先進医療の弾力的運用について働きかけをしている。それからライフサイエンスに関する教育機関、研究機関の集積の促進のための規制緩和を申請している。さらにバイオベンチャーの育成支援、人材確保の支援も手がけている。
知的クラスター創生事業は平成14年度から5年間の期間でやっているが、これによってバイオベンチャー30社を集積させ、20年後には神戸市だけで1万8000人の雇用が生まれるという推定をしている。
健康を楽しむまちづくり
構想の次の計画として、健康を楽しむまちづくりに取り組んでいこうとしている。神戸市の死因を見ると、心臓の病気が多く、健康関連サービスの充実を図っていくことは国策でもある。神戸に今後、医療関連産業を増やしていくことが重要だ。まちづくりでは2つのプロジェクトが今年から動き出している。ひとつは、NEDOの事業で8社で構成される研究組合が家庭でいろいろなことを測定できる健康機器を開発するというプロジェクトだ。一つは健康マットで睡眠中に脈拍などがわかるだけでなく睡眠時無呼吸症候群などがわかるようにしようとしている。このほか、血糖値計や健康計測トイレなどいろいろな健康モニタ機器も開発しようとしている。もう一つは三菱電機が中心になって、健保組合や職場や家庭で測定したデータをセンターのシステムに入れて分析し、病院と協力して栄養、運動指導をするというパイロットプランがスタートしている。
神戸市ではその他の企業や市民に呼びかけて、健康づくりと病気の予防のプロジェクトを始めたいと考えている。先端医療だけでなく周辺の健康産業を誘致することによってポートアイランド全体を新しい医療産業都市にして発展させていきたい。